2007年11月、3Dプリンターを導入する。2007年といえば、3Dプリンターは黎明期であった。
「まず圧倒的に試作期間が短くなりました。それまで試作品の評価をするまで1~2週間かかっていたのが、わずか一晩で製作できるようになり、それが今までと大きな違いでした」(奥田氏)
そして3Dプリンターの導入は、何より設計者の心に火を点けることになる。
「それまでは、様々なアイデアがあっても試すことができたのはそのうち一部だけでした。それが3Dプリンター導入によって、ほとんどすべてを試すことができるようになったのです」(柳沢氏)
開発期間の短縮が品質の向上につながっている、と池田氏は言う。
「早く開発を終わらせることもできますが、当社では常に『その時点での最高性能を出す』といった目標を掲げているため、『これですべてアイデアは出し尽くしたのか』という問いかけが必ずあります。少しでもチャレンジできることがあるなら全部やり尽くそう、とさらに改良を重ねることができるため、従来と開発期間は変わらなくても、明らかに性能が良くなりました」また、グループ会社であるSANYO DENKI PHILIPPINES, INC.にも設計部があり、今までは手掛けた3Dデータを日本の3Dプリンターで造形、フィリピンに空輸していた。しかし、フィリピンの設計部での試作が増えたことから、2013年9月に同じ3Dプリンターを導入した。日本での購入元である丸紅情報システムズと同じ丸紅グループのMarubeni Software & Technology (Thailand)Co., Ltd.(略称:MSTT)から購入し、メンテナンスサポートも任せている。
柳沢氏は3Dプリンター導入後の現場をこう語る。
「これまでは、先輩たちの経験値から『こういうものはうまくいかない』とされたアイデアには、チャレンジしてきませんでした。しかし、3Dプリンター導入後は手軽に試作ができるようになったので、思いついたアイデアをみんな形にできるようになりました。多くはないですが、思いついたアイデアで製作したものが想像以上の結果を出したこともありました」
それまでのファンは5~7枚羽根が主流であったが、試しに3枚羽根にしてみたところ、狙った性能が出たという。
「3枚だと見た目は本当にスカスカです。ところが試作品を製作してみると、結果は従来品を上回ったのです。経験値だけでなく、一見突拍子もないアイデアでも挑戦してみることが重要なのだと改めて感じました」(奥田氏)
ファン業界の熾烈な競争は今もって続いており、競合他社も負けじと次々に新製品を出してくる。しかし、設計部3名の決意は固い。
「一見ファンと関係ないような分野にも興味を持つなど、広い視野でさまざまヒントを探しながら、さらに高品質の製品を開発していきます」
今、無限の可能性を実現している山洋電気の設計者。
さらなるハイクオリティな製品を追い求め、今日も戦っている。