渋谷駅127年の変遷を追う24の模型から見えてきた「命」

建築的に高い価値があるとされる駅の1つに「東京駅」がある。格調、気品、歴史。どれをとっても非の打ちどころがない。重要文化財でもある。ところが東京駅には目もくれず、同じビッグターミナルでありながら、建築物としてこれまでほとんどの人が注目したことのなかった駅に魅せられた人物がいる。昭和女子大学の田村圭介准教授だ。「常に変化している。それが渋谷駅の魅力なんです」渋谷駅に、田村准教授は何を見たのだろうか──。

オランダでも日本でもずっと頭から離れなかった「渋谷駅」

渋谷の街の象徴でもあるスクランブル交差点。2011年春、そこから目と鼻の先にある複合施設の渋谷マークシティで、ある展示会が開催された。『渋谷駅体展 うつりかわり─渋谷駅の変遷』──。出展したのは田村准教授の研究室。渋谷駅の姿が変遷ごとに24の模型にしてある。順番に見ていくと、渋谷駅がその姿を刻々と変えていっているのがわかる。

「渋谷駅の変遷を研究していくうちに、渋谷駅が駅としての施設だけでなく商業施設や文化施設と一体になりながら、あたかも有機体のごとく変わっていく姿が分かりました。この考え方から「渋谷駅体」という造語が生まれました。また、「えきたい」という音から液体が思い浮かぶため、あたかも液体のごとく常に変化していくことを連想させます。」

田村准教授は早稲田大学大学院を修了後にオランダに留学。その後、現地の建築事務所で勤務し、帰国して「横浜港大さん橋国際客船ターミナル」の設計に携わる。ターミナルの大きさは高さ15m、幅70m、長さは430mもあり、表面に土と板などの素材が使われ、スロープがあちこちにある。建築物というより地面のようであり、その巨大さから屋上広場は「くじらのせなか」と呼ばれている。

「建築事務所は『垂直と平行からの脱却』『地面化すること』の2つをコンセプトにしていました。建築物は水平垂直が基本ですが、逆にそれに縛られて自由な発想を妨げている面がありました。建築にもコンピュータが使われるようになったことで、さまざまな形へのアプローチが可能になってきた。そうした発想のもとにつくられたのが大さん橋です」

オランダから帰国し、2004年から昭和女子大学で建築を教えることになるが、オランダでも、日本でも学生を相手にしながらも、田村准教授がずっと頭から離れなかったものがあった。

1984年の渋谷駅周辺 
国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省
2011年の渋谷駅
右中央に見える電車が地下鉄の銀座線

空間構成がわからない。知りたくなった駅の「過去」

きっかけは、12年前のオランダからの一時帰国中だった。「ブラブラと渋谷駅を歩いているとき、ふと『渋谷駅の空間構成ってどうなっているんだろう?』と思ったんです。小さい頃から渋谷駅はよく利用していましたが、記憶を辿ってもわからず、考えても全体像がまったく見えませんでした。建築のプロとして恥ずかしいなと」翌日、さっそく図書館に資料を集めに出向く。雑誌や書籍を頼りに資料を集め、渋谷駅の空間構成をようやく把握する。

「新宿、池袋駅は各路線が並行に並んでいますが、渋谷駅はイレギュラーに立体交差して絡み合っています。それも、渋谷は文字通り『谷』にあるので、地下鉄であるはずの銀座線が渋谷では地上に出てしまい、銀座線渋谷駅は山手線の上に位置している。こうした構成を理解するのが非常に難しいんですね。そのため、渋谷駅の乗降客の多くは空間を把握して移動しているのではなく、サインを見て動いています。いわば『サイン空間』なんです」

渋谷駅の空間構成は把握できたが、調べているなかで気になることが生まれる。渋谷駅の「現在の形」が、長い年月の堆積の結果にできていることだ。渋谷駅が生まれたのは明治18年、西暦にすると1885年。約120年も前だが、『その変遷を追い求めてみたい』と思ったのだ。

「私は学生時代から古本屋通いをし、古本に接するのが好きでした。いっそのことさかのぼって調べてみようかと」この決心が、現在の研究成果に結実することになる。

乗降客数「0人」から「240万人」 時代の要請を受け徐々に巨大化

田村准教授は、『渋谷駅の過去』を調べていた時間を「考古学のようだった」と表現した。図書館などから見つけ出す建築や土木系の古雑誌。渋谷近辺を研究している人たちと交流し、図面を見つければコピーしていったが、詳細な図面があることはなく、主な情報源は古写真だった。

「少しずつわかってきたのが、渋谷駅の外観がゴツゴツと不規則な形をしている理由です。渋谷駅はそもそも貨物列車用の駅でした。開業当日は乗降客数ゼロだったようです。それが段々と通勤用の列車に移行していき、今では1日240万人もの乗降客がいる。その間、乗降客数が増えればいたちごっこのように、時代の要請を受けて何度も何度も増改築を繰り返してきました。その結果、今のような外観になりました」

また渋谷駅は、「駅」としてだけでなく、百貨店などの「商業施設」、劇場などの「文化施設」の3つが組み合わさって発展し、それも複雑さに輪をかけているという。少しずつ渋谷駅の全容が明らかになっていくが、そのなかで田村准教授のなかにある思いが少しずつ湧き上がってくる。『形にしたい』という思いだ。田村准教授は古写真などをもとに、2次元の図面を描き起こしていったが、『模型にすれば何か面白いことがつかめるのではないか』とずっと思っていたという。

5年前、さっそく手作りで模型作成に着手。スチレンボード、木材などを使い、完成させる。奥まで手が届く大きさにしないといけないため、模型の大きさは2m四方にも達し、作成期間も2か月にも及んだ。
「変遷ごとにいくつかの模型をつくりたいと考えていましたが、手でつくるのはあまりに手間と時間がかかりすぎ、これ以上つくるのは難しいなと思いました」図面を2次元から3次元にデータをつくり直すなどして発展させていたが、モニタ上で“立体的に見える”ようにはなったものの、“形”として目の前にあるわけではなかった。諦めかけていたとき、突然フォローの風が吹く。

変わるクリエイティブの現場 展示会出展まで一気に加速

2009年初夏、昭和女子大学環境デザイン学科において、3DプリンターDimensionが導入された。「3Dプリンターで造形されたスパナを見て驚きました。建築では違う素材をいかに組み合わせ接合するかを考えますが、3Dプリンターは一体成型。それでいて、モノとしてきちんと機能していました」

モニタ上では整合性がなかなかつかめないが、3Dプリンターで造形することで整合性がわかる。田村准教授は「『完成品』を出力するだけでなく、『過程』に使うことで見えなかったものが見えるようになり、より完成度が高められることもわかりました」と語る。

3Dプリンター導入から半年後の2010年冬、田村准教授は『shibuya1000』というイベントに、渋谷駅の変遷の9過程を形にしたものを出展し、渋谷区長の目に留まった。1年後再び同じイベントに出展し、さらに24過程にして開催したのが、『渋谷駅体展 うつりかわり─渋谷駅の変遷』だった。

展示会の設営は学生とともに手がけた。
2011年度から、学生向けの講義にも
3Dプリンターが使われるようになった。
「形にこだわった設計ができるかもしれない」と
学生たちの期待も高まっている。

研究から透けてきたもの 移り変わるからこそ生まれる愛着

『渋谷駅の研究』から見えてきたものがある。「時代はどんどん移り変わり、建築物も対応するために変わっていくもの。そのため、増改築を前提とした設計が大事になるはずです」田村准教授の洞察は、都市計画のあり方や人の内面にまで及ぶ。

「人は、姿を変えるものに愛着を感じるように思います。計画的にできた整然とした街より、自然発生的に生まれ、不均質で統一感のない街のほうが面白いものです。展示会でも、昔の渋谷駅の姿の模型を見て胸が熱くなったという方がいました」

渋谷駅は今後、東急東横線が地下化し、その跡地には、JRの埼京線と湘南新宿ラインのホームが移されるなど、いまだに大きなうねりの只中にある。

「渋谷駅の変遷を追う私の仕事も、まだまだ続きそうです」24の模型を見つめる田村准教授の眼差しは、まるで我が子を見つめる親のように温かい。流転し移り変わるもの。だからこそ生まれる、躍動感、儚さ、愛着。田村准教授は、渋谷駅に「命」に近いものを感じているのかもしれない。

模型は30cm四方ほどの大きさで、
そこに渋谷駅が造形されている。
地上はもちろん地下も再現されており、
下から見ても楽しめる。

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