エイ・シー・ティー様

風よ吹け!アメリカズカップの夢よ、再び。

かつて、多くの日本人がヨットレースの結果に釘付けになっていた時代があった。
アメリカズカップ。
世界のトップセーラーが集まり、各国チームが最先端技術を駆使して
そのスピードを競い合う国際ヨットレースだ。
日本チームは、アメリカズカップに1992年、1995年、2000年と三たび参戦し、
いずれも準決勝に進出。2000年には、予選で強豪国アメリカなど5チームを次々と破って
快進撃を続け、日本中が沸きかえった。しかし準決勝で惜しくも敗退。
その後、日本はアメリカズカップへ参戦することなく、
国内でヨットレースが話題になることも少なくなっていった。
その光景を複雑な思いで眺めてきた男がいる。
「ジャパン」としてアメリカズカップに参戦した男の、「それから」を見つめた。

ヨットと、ずっとかかわっていたい

「フォーーッ ! 」
2009年4月末、葉山沖。ここで金井は日本で初めてというカテゴリの新しいヨットを浮かべていた。
このヨットを設計したのは葉山に事務所を構える「ACT(エイ・シー・ティー)」。ヨットの設計、解析などを行い、ときには造船会社の依頼を受けて200~300m級の大型商船の設計をすることもある。同社の経営者こそ金井であり、このヨットの設計も担当した。ACTは、2000年に大学時代の仲間と一緒に設立した会社だ。

金井亮浩。その経歴は輝かしいものである。東京大学大学院の修士課程を経て、ヨットに関する最先端技術が集結するアメリカズカップのテクニカルスタッフとして2度参戦し結果を出した。どの企業もがほしがる頭脳といえる。しかし、金井は就職という道を選ばなかった。2000年のアメリカズカップが終わると迷わずこの会社を立ち上げた。理由は「ヨットとずっとかかわり続けていたいから」だった。
昔からヨットに深くかかわってきたように思えるが、実は大学時代まで、まったく無縁の生活を送っていた。

東京大学での専門は流体力学。大学では船舶における流体力学を、大学院修了後はアメリカに渡り航空にかかわる流体力学を学んだ。1993年夏、アメリカから一時帰国したとき、東大時代の師である宮田秀明教授から打診を受ける。

「日本がまたアメリカズカップに参戦する。手伝ってくれないか」
この一言が、金井の人生を大きく変えることになる。

金井が学んでいたのは、主に商船など、動力を使った船舶の研究。ヨットも同じだと思っていた。ところが、ヨットを知れば知るほど、商船にはないさまざまな要素があることに気づいていく。

「商船は直進だけを考えればよく、スピードも15ノット程度と決まっている。ところが、ヨットはそれとはまったく違っていた」

動力のないヨットは、「風」の力を使って疾走する。しかもその風は順風、向かい風、横風など、さまざまで一定せず、船体も風向きによって大きく傾いて進むことになる。また、商船にはないセール(帆)があり、船底には飛行機の翼と同じ役目を果たすキールというものも付いている。そして、セーラーのセーリングテクニック。そうした数多くの要素が複雑に絡み合って、ヨットの性能、スピードが決まっていく。金井はヨットの魅力にとりつかれていく。

それは、ある意味で必然といえるかもしれない。金井が最初にかかわったヨットが、世界最高峰のヨットレース、『アメリカズカップ』だったのだから。

会社設立、2ヶ月後の「報告」

アメリカズカップ。
今から1世紀半以上前の1851年に始まり、すでに32回も開催されている伝統的な国際レースで、“海のF1”の異名をもつ。前回の優勝チームが防衛艇となり、挑戦艇シリーズで予選、準決勝、決勝が行われ、決勝で勝ったチームが挑戦艇王者として防衛艇に挑むスタイルだ。長いことアメリカチームの独壇場だったが、近年はニュージーランドやスイスが優勝を重ねている。

日本が最初に参戦したのは1992年。その後、1995年、2000年と相次いで参戦し、このときテクニカルスタッフとして参加したのが金井だった。

「ヨットの設計はまず、CADを使ってある程度のデザインを決め、それをCFDと呼ばれる解析ソフトにかけます。CFDはいわばコンピュータ上で仮想帆走できるシミュレーションソフトで、この解析である程度の速さが予測できます。そして、この設計と解析を何度も繰り返して、最速の形状を決定したあとに模型をつくります。水槽実験でその形状でシミュレーション通りのスピードが出るのかどうかを実際に確かめます」

実は金井はCFDソフトの開発も手がけるその道の専門家。だからこそ、大学時代の恩師から声がかかったのだ。
水槽実験は幅15m、長さ400mほどの巨大なプールで行われ、実物の5分の1程度の長さ5〜6mもある模型が使われる。模型にはセンサーが付けられ、水槽上を走らせて抵抗を測り、再度CADによる設計に戻る。このサイクルを何度も何度も繰り返し、ニッポンチャレンジのヨットの船体はつくられていった。

だが、アメリカズカップは甘くない。1995年、かろうじて準決勝まで残ったものの、準決勝では3~4分もの差をつけられて大敗。しかし2000年、ニッポンチャレンジは大きな進化を遂げる。予選で強豪のアメリカの5チームすべてに勝利し、11チーム中2位の好成績を収める快進撃の末、準決勝にコマを進めたのである。
「このときのチームワークは最高だった」
金井は振り返る。

しかし、再び準決勝で敗退。2000年3月にアメリカズカップは閉幕し、その年の7月、ニッポンチャレンジはある発表をする。次回の大会への挑戦断念である。それは、金井が人生をヨットに捧げるべく意気揚々と会社を設立した、わずか2ヶ月後のことだった。

資金不足。ならばヨットを普及させるしかない

「日本が挑戦を断念せざるを得なかったのは、資金の問題です」
金井は言う。

アメリカズカップ。“海のF1”の異名からもわかるように、その開発・運営には莫大な資金を必要とする。100億円近く集めるチームもあり、2003年大会に向け、ニッポンチャレンジが目指した資金は約30億円だったが、集まったのはその半分でしかなかった。

「日本の経済状況が悪かった。それから・・・日本にはセーリングの文化がまだ育っていないのです。ヨーロッパでは会社帰りに気軽にレースをする人もいるほどで、セーリング文化が根付いています。港にいけば白い帆があちこちに見受けられますが、日本にはそれがない」
思うように集まらない資金。となると金井にできることは、国内でヨットの裾野を広げ、地道に支持を広げていくしかない。

日本でヨットが全盛を迎えていたのは1990年前後でバブル景気の頃。その後、景気後退とともにヨットの生産数は減り、国産大手メーカーも撤退、国内のヨットレースへの参加者も減少の一途をたどる。まずこの現状から変える必要があった。

金井はヨットの普及のためならどこへでも行く。ヨット普及が目的のセミナーがあれば講師として参加し、アメリカズカップに関する座談会があれば九州にまで足を伸ばす。NHKの教育番組に講師として出演し、『ヨットはどうやって進んでいるの』というテーマで語ったこともある。

そしてもう1つ、大きな使命が優れた競技用ヨットの設計だ。速いヨットをつくることができれば、そのヨットに乗った日本人セーラーが国際レースに勝つ可能性も高まり、それが話題となればヨットの普及にもつながっていくはず。

金井はアメリカズカップで得た知識とノウハウをフルに活用し、次々と高速のヨットを開発してきた。そして金井は、船舶業界では極めて珍しいある機器を導入する。きっかけは、「スナイプ」というクラスのレース用ヨットの設計依頼だった。

「2009年、『以前つくったヨットを科学的なアプローチで新たにつくり直したい』という要望がありました。ところが、そのヨットの図面は一部しか残っておらずCADの形状データがなかった。CADデータがなければ、CFDでシミュレーションすることができず、改善点の洗い出しもできないと」

そこで、金井が思いついたのが3次元デジタイザだった。金井は2003年、イギリスチームの一員としてアメリカズカップを経験している。そのときに、「模型の形がCADデータと違っているのでは」という声を受けて使ったのが、接触式の3次元デジタイザ。それを思い出しインターネットで検索し、たどり着いたのが非接触式の3次元デジタイザ『ATOS(エイトス)』だった。

ATOSによる測定データ

やっぱり『ジャパン』として

茅ヶ崎市の住宅街のなかにあるヨットの造船所。ここで、ATOSを使った初めての測定が行われた。ヨットの船体が上向きに置かれ、縞模様のビームが当てられる。より精度を高めるために、『Tritop(トライトップ)』という3次元点位置測定システムを併用した。このTritopを使うことで、ヨットのような大きな物体も非常に速く、しかも正確に測定することができる。モニタにヨットの船体がスーっと現れる。金井は驚きを隠せなかった。

Tritopによる測定データ

「うわ、速いなぁと。イギリスで使った接触式の3次元デジタイザは手作業で膨大な時間がかかり、測定後も後処理にも時間をとられていましたから。それと比較すると、ATOSは準備と測定にそれぞれ1時間しかかからないというのは驚きでした。私もソフト開発をしているのでわかりますが、ソフトの完成度はかなり高いといえます」
金井がATOSを採用したのにはもう1つある思いがあった。ヨットはまず木型をつくるが、それをCADデータどおりにつくるのは極めて難しい。ヨットの船体には流線部分があり、それを手作業でつくるからだ。NCマシンを使えば精度を高めることができるが、コストがかかるため、普及させることを考えると安価な手作業が現実的な選択肢だった。

「ヨットは高さが5ミリ違うだけで性能が大きく変わってくる。CADデータどおりにできているのかを検証するときに、ATOSは有効なツールにとなるだろうと考えました。ATOSで測定して“本当の形”がわかれば、それをCFDでシミュレーションし、『どのセールが最適なのか』といったことも導き出すことができる。つまり、さらに高速なヨットがつくれる可能性があるわけです」
アメリカズカップへの再挑戦に燃える金井だが、前述のように、イギリスのチームにも参加したことがある。だがきっぱりと言う。

「やっぱり、『ジャパン』として出たいんです」
2009年4月末、金井が設計した「GP33」※クラスのヨットが進水した。GP33とは新しく誕生したミドルクラスのヨットで、世界にまだ4艇しかない。金井はこれを日本に普及すべく「シリーズ艇」として自社で開発したのだ。
新しく開発したGP33は、このクラスとしては高速な19ノットものスピードが出る。時速約35kmだが、実際に海で体感するとそのスピード感は圧倒的だ。

「GP33が普及して、国内でこのクラスのヨットレースが生まれたらいいなと思っています」
葉山沖。金井が設計したヨットは、陽光の下、波しぶきを上げながらグングンとそのスピードを増していく。
空白の10年の間に、金井はその技術を着実に高めてきた。


それが『ジャパン』に活かされる“その日”を待ちわびている。

※「GP33」
2005年1月に、ORC(Offshore Racing Congress 外洋レース協議会)が
発表したレースの3つのクラス(GP42/GP33/GP26)の1つ。

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