関西大学様

ブラックボックスの謎を解く。鍵を握る顧客動線データの活用。

人がある商品を購入する理由は何なのだろうか?生活必需品や嗜好品など、商品の特性によって購入動機は変わってくる。インターネットの世界ではユーザのWebログデータや購買履歴を分析し、購入に至るまでのプロセス解明が進んでいるが、店舗内での実際の購買行動はブラックボックスのままだ。これまで誰も解明したことがないブラックボックスの謎に挑んでいるのが、関西大学 商学部 矢田勝俊教授だ。

実際の店舗でお客様サービスに影響を与えることなく、いかに購買行動のデータを収集するか。矢田教授が着目したのが、無線LANによる位置情報を活用した顧客動線データだ。ブラックボックスを解明することで見えてきたものとは?顧客動線データがサービス・イノベーションを生み出していく

あるお客様が店舗で商品を購入する確率は60%

商品棚の前で人が立ち止まる。しばらく考えて、結局、立ち去っていく。なぜ商品を購入しなかったのか。商品を販売している小売店や商品を製造したメーカーは、いますぐ駆け寄って理由を聞きたいと思うだろう。しかし現実には小売店やメーカーは、人が商品棚の前で立ち止まったという事実を知ることさえできない。店舗内の購買行動というブラックボックスの謎解きに、関西大学 商学部の矢田勝俊教授は挑んでいる。謎解きの重要な鍵となったのが、購買者の足跡を追う顧客動線データだ。店舗内の人の動きを把握し、売上データなどと組み合わせて分析することで、最新の研究では来店した人が商品を購入する確率までわかるという。

「Aさんが来店したときにある商品を購入する確率が60%あるということがわかると、購入確率の高いお客様向けにキャンペーン用のチラシを配布するなど、より効率的かつ効果的なプロモーションが行えます」(矢田教授)

矢田教授の研究室は、JR新大阪駅からタクシーで10分程、丘陵地に広がる豊かな自然に恵まれた関西大学の千里山キャンパス内にある。自主的に考え、積極的に行動する「考動人」の育成に力を注ぐ同大学の教育理念は「学の実化(じつげ)」だ。「学理と実際の調和」をめざす「学の実化」は、矢田教授が研究に取り組むときの信条とも重なる。「新しいデータの生成はサービス・イノベーションを生み出す。それを信じて研究に邁進していく」

1970年代、スーパーマーケットなどのレジにおいて、商品に貼られたバーコードなどを読み取るPOS(販売時点情報管理)データの登場は、業務の効率化に劇的な効果をもたらした。近年では、会員カードによる顧客ごとの購買履歴管理を行うFSP※1データの活用は、ポイントといった付加価値を創出し、優良顧客の獲得や利益拡大に貢献している。現在、マーケティング研究のトレンドは、POSデータといったビジネスの「結果」から、FSPデータなどビジネスの「購入プロセス」へとシフトしている。矢田教授もFSPデータの研究に取り組んできたが、FSPデータは研究のレベルからビジネスで活用を拡大していく段階に入ったという。

矢田教授が新たな研究テーマとして着目したのが、店舗内での購買行動を見える化できる顧客動線データだ。この分野の研究は世界的にもほとんど進んでおらず、現在、矢田教授が所長を勤める関西大学データマイング応用研究センターと、米国の大学の2拠点がこの分野の研究を先導している。未開の研究領域には、研究者が容易に足を踏み入れることができない理由があった。

※1 FSP : フリークエント・ショッパーズ・プログラム。ポイントカードや会員カードを発行し、既存顧客のロイヤリティーを高めるマーケティング手法。

サービスに影響を与えることなく、いかに顧客動線データを収集するか

顧客動線データは、営業中の店舗におけるお客様の行動をデータ化するものだ。問題は、サービスに影響を与えることなく、どのようにして移動するお客様のデータを収集するか。お客様が不快に感じることを恐れる店舗側は、研究者が研究目的を説明しても簡単に許可するはずがない。矢田教授が店側の不信感を払拭できた理由には、大きく2つのポイントがあると言えるだろう。1つは、矢田教授の小売業に対する深い理解である。阪神・淡路大震災のとき、神戸で被災した矢田教授は、震災後、昼は小売業の企業で働き、夜は大学院で研究を行う生活を送った。当時はデータマイング※2という言葉は知らなかったが、小売業における科学的アプローチの重要性を肌で感じたという。小売業への深い理解をベースに、長年、データマイニング研究を通じて培った様々な企業との信頼関係が、顧客動線データの実店舗での実証研究の道を開いた。

もう1つのポイントが、無線LANを活用した位置情報という先進技術の活用である。「顧客動線データの収集方法についてはいろいろと調べましたが、実店舗での運用になるといずれもハードルが高くなります。例えば、ビデオモニタリングでは精度面の問題に加え、配線工事が必要になるなど店側への負担が大きくなります。お客様に対しても監視するようなイメージは、データ収集という目的には適していません。唯一、この方法ならできるかもしれないと思えたのが、無線LAN(Wi-Fi)を利用した位置情報システム「Ekahau(エカハウ)」でした」

「Ekahau」を活用した仕組みでは、位置情報を発信するWi-Fiタグをショッピングカートの目立たないところに取り付け、店舗内に配置したアクセスポイント(無線LAN基地局)を通じてカートの動きを追 跡し顧客動線データを収集する。この方法なら、店舗側やお客様に負担をかけることなく、必要十分なサンプル数の収集が可能となる。また、無線LANを利用するため店舗側にネットワーク工事などの必要はなく、短時間で導入できることから夜間の閉店時間内で準備できるメリットも大きい。

「2008年の最初のトライから、丸紅情報システムズさんには店舗における「Ekahau」の導入に関してすべてお任せしています。店舗側との信頼関係のもとで行う実証実験において、閉店時間内での導入作業や、店舗内デザインに配慮したアクセスポイントの設置など、きめ細かな対応は実験のスムーズな進行に大きく貢献しています。インフラ面では何も心配することなく、実験の準備や運用に集中することができてとても感謝しています」

無線LANを利用した「Ekahau」は、屋外利用を前提としたGPS(Global Positioning System)に比べて位置検知の誤差が小さい。またWi-Fiに準拠したアクセスポイントを利用することで、導入コストを軽減できる。さらに障害物に影響を受けないため、店舗内でも精度を損なわずに位置を検出することが可能だ。矢田教授の実証実験では、赤外線も活用し、どの商品棚の前に立ち止ったかなど、より精度の高い位置情報の取得を実現している。1回目、2回目の実証実験はチラシなどのプロモーションの効果に関するデータの収集が中心となった。3回目以降から小売店に商品を提供するメーカーの協力を得て、店舗内レイアウトや棚割などが変化することで購買行動はどう変わるのかといった、ブラックボックスの本格的な謎解きが始まった。

※2 データマイニング : 様々な統計解析手法を用いて大量の企業データを分析しこれまで知られていなかった傾向やパターンを見つけ出す知識発見の手法、またそのプロセス。マイニングとは採掘の意。

顧客動線データが拓くビジネスチャンス

顧客動線データと売上データなどを組み合わせることで何が見えてくるのだろう。小売店とメーカーでは、目的が異なるため視点も違う。小売店は、チラシなどの効果測定はもとより、曜日や時間単位などによる顧客滞留時間の違いなどを分析することで、店舗レイアウトや店頭での販売促進活動に役立てることができる。一方、メーカーにとっては、売り場に来て買わないのか、そもそも売り場に来ていないのか、といった店舗内のプロモーションを考える前提を確認できる点は大きなメリットだ。また、どういった顧客層が何人立ち寄ったのか、人数を具体的に把握することで、より効果的なプロモーションが可能となる。

人が売り場に来ていた場合、購買行動の重要なポイントに考慮時間があるという。「商品によって考慮時間は違います。例えば、生鮮食品やお菓子売り場では悩んで購入するケースが多い。一方、即決して購入するケースと言えば、ブランド商品があります。過去に、ある商品を購入するのにどのくらいの時間を要したのかがわかると、各カテゴリにおいてアクションに導くための店頭戦略がより合理的に行えるようになります」

また、商品の売り上げに大きく影響するのが店舗内レイアウトや棚割である。しかし、店舗レイアウトの変更により購買行動がどのように変化するのか、多くの企業がその答えを見出していないのが現状だという。「今回、日用雑貨メーカーのレイアウト変更について、顧客動線データによる実店舗での実証実験を行いました。販売に注力するパワー商品をどこに配置するのか、顧客層に合わせて実験を繰り返しました。実際にお客様がパワー商品を配置してあるところまで来るのかどうか。またその割合は配置する場所によってどう変化するのか。集客の人数が増えるほど購入する確率は高くなりますし、その影響は隣接する売り場にも波及します。重要なことは、正確なデータに基づくレイアウト変更が可能になるということです」

なぜデータに基づくことが重要なのか。矢田教授は次のように話す。「メーカーが小売店に対してプレゼンテーションを行うときの説得力が大きく違います。“ある店舗でレイアウト変更を行い、当社のパワー商品の位置を変えたことにより、お客様の購入経路はこう変わり、お客様の立ち寄り率が何%向上し、売り上げを何%アップできました”といったように、実際のデータを示されると店側の関心も高まります」

レイアウト変更の実証実験は、飲料品や食品などさまざまなメーカーが参加して行われている。実験の結果、判明するのは立ち寄る人数の変化だけではなく、どのくらい利益が見込めるかまで高い精度で把握できるという。購買行動の謎を解く1ピースとなる顧客動線データがビジネスチャンスを拡大していく。

科学的アプローチの役割はビジネスの思いを効果的に伝えること

「データ分析では、データを読むことが大切」と矢田教授は話す。「データを読む」とはその背景を探ることだ。そのためには店舗内のオペレーションを理解していることが必要となる。「現場でどのようなルーティンが行われていて、それぞれのルーティンにどういう意味があるのか。現場を知らなければデータの意味はわかりません」

千里山キャンパス内の矢田教授の研究室では、今日も購買行動というブラックボックスの謎解きが続けられている。顧客動線データの次に、矢田教授が注目しているのが顔の表情や目線のデータ化だ。店舗内のお客様の一挙手一投足を追跡していくことで見えなかったものが見えてくる。データのビジネス活用を研究する矢田教授だが、ビジネスではデータよりも大切なものがあるという。「お客様に対する思いなど、ビジネスでは思いが大切です。その思いをお客様により効果的に伝える手助けをするのが科学的アプローチなのです」

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