南極観測・研究のIT化 ~南極とのコミュニケーションと情報の共有化の推進~

ビジネスや暮らしの中で地球環境保護への意識が高まっている。しかし、「地球」と言われてもなかなか実感わかないのが正直なところだろう。

日本の極地観測・研究の中核、国立極地研究所では子供たちに南極の自然や環境問題への理解を深めてもらうために、昭和基地と学校を衛星回線で結び、テレビ会議システムを利用した南極教室を全国各地で開催している。

2010年1月には初の試みとして現職の先生が自身の生徒に対して南極から授業を行った。生徒にとって地球の南端にある南極がリアルな場所に変わった瞬間だ。「地球の大きさを知ることは、環境問題を考える上でとても大切なことです」と、自身も二度、南極観測隊に参加した経験をもつ同研究所の菊池氏は話す。地球の未来へと続く、南極の観測・研究もまたIT化により大きく変化している。コミュニケーションと情報共有の観点から、その最前線を取材した。

テレビ会議システムを活用した南極授業

授業開始のチャイムが鳴った。ざわついていた空気が一瞬にして引き締まる。いつもなら静かな廊下を歩く先生の足音が少しずつ大きくなってくるところだが、今日は聞こえてこない。先生は日本から1万4,000km離れた地球の南端にいるからだ。

「それでは、南極授業を始めます」。大きなスクリーンいっぱいに先生の笑顔が映し出されると、生徒の間から歓声が上がった。

南極の昭和基地と日本の学校を衛星回線で結び、テレビ会議システムを利用して授業を行う南極教室。日本における極地観測・研究の中核、国立極地研究所が子供たちに南極の自然や環境問題への理解を深めてもらうために全国各地で開催している人気のイベントだ。これまでは昭和基地の隊員が、先生としてスクリーンの向こう側に立っていた。2010年1月、第51次南極観測隊では現職の先生が参加し、自身の生徒に向かって南極から授業を行うという初の試み「南極授業」が実施された。

「アデリーペンギンのフンはピンク色です。エサにしているオキアミの色が影響しているからなんですね」
「南極はチリなどほとんどないキレイな空気なので、とても寒いのに吐く息は白くなりません」
先生の一言一言に生徒は集中している。ペンギンやオーロラの写真なども紹介されたが、なによりも先生が南極にいるという事実と、自ら体験している驚きを伝えていることが、生徒の心をとらえているようだ。

南極授業を支えるテレビ会議システムの設置に携わった、国立極地研究所 助教 菊池雅行氏は、スタッフとして参加しながら自身も楽しんでいたと話す。「子供の頃のことを思い出しました。地図が実際の場所を描いているとわかるようになったのは小学校高学年の頃です。地球儀を見ると図形としての南極大陸があるわけですが、南極授業によって南極は自分たちの学校とつながっているリアルな場所に変わります。地球の大きさを実感することは地球全体を考える上でとても大切です」

オゾンホールを初めて発見したのは日本の南極観測隊

国立極地研究所は、極地に関する科学の総合研究と極地観測を目的に1973年に設置された。研究分野は地球、環境、生命、宇宙など多岐に渡る。2004年には大学共同利用機関法人情報・システム研究機構を構成する研究所の1つとなった。

南極昭和基地の模型

極地は人間が創り出す文明から最も遠い地点にあるため、地球そのものの姿が残されている。地球のサブシステム※1、地球環境のタイムカプセル、宇宙の窓などと称されるのもそのためだ。また生物の多様性でも学術的関心は高い。

南極は約72万年に渡って降り積もった雪が堆積している大陸だ。氷の厚さは最も厚いところで4,776m、富士山もすっぽりと入ってしまう。同研究所では、1995年に岩盤まで3,000m以上もある分厚い氷の上にドームふじ基地を開設し、氷床をボーリングして氷床コアと呼ばれる直径10cmの円柱状のサンプルを採取している。地球の気候変動や環境の変化を解明するために、氷に閉じ込められた過去の空気を研究するためだ。

50年以上の歴史をもつ日本の南極観測では成果も多い。たとえば、1982年にオゾンホールを初めて発見したのは日本の南極観測隊だ。また南極での大量の隕石発見により日本は世界有数の隕石保有国でもある。オーロラ観測は、日本が宇宙科学の発展に大きく寄与している分野の1つだ。

1994年、極地研究所に赴任した菊池氏は、中国観測隊の一員として、初めて南極の地に足を踏み入れた。極地研究所が開発したオーロラ観測用全天カメラを中国隊の南極基地に設置するためだ。

「中国隊への同行は半年くらい。次の年に日本の南極観測隊に参加しました。越冬隊だったので1年半くらい、南極に滞在したのは約500日です。地磁気の観測やオーロラの全天観測などのミッションをこなしながら、昭和基地に導入されたばかりのメールシステムのサポートをしていました。」

菊池氏がメールシステム担当になったのは、普段の研究で電子データを扱っていたからだ。昭和基地にいる隊員の数は30名前後、医者から調理師、技術者、研究者など職種も多彩で写真や音楽など一芸に秀でた隊員も多かった。得意な人ができることをしてみんなに貢献するというのが昭和基地の不文律だ。

※1 地球システム
地球をシステムとしてとらえると、気圏、水圏、固体地球圏、生物圏と大きく4つのサブシステムで構成されている。また、サブシステムは相互作用することで地球システムが成り立っている。

極地観測・研究のIT化を支える極域データセンター

観測技術やデータ転送技術の進歩により、極域科学の諸分野でも大量のデータが日々生み出されている。日本における極地観測・研究のための情報基盤を支えているのが、同研究所の極域データセンターだ。観測データの迅速な処理と有効利用のため、学術情報基盤の整備・運用と、データベースの管理・公開という2つの役割を担っている。

昭和基地と国立極地研究所を結ぶ
テレビ会議システム

南極の昭和基地でインターネットの常時接続が実現したのは、昭和基地にインテルサット衛星の大型アンテナが建ち、大容量データの高速送受信が可能になった2004年のことだ。これ以後、昭和基地におけるコミュニケーションは大きく変化した。たとえば、インターネット環境を利用したIP電話により昭和基地と同研究所は内線で結ばれ、通話料金を気にすることなく電話を利用できるようになった。そして、冒頭で紹介した南極授業もスタートする。

昭和基地ライブ映像

「南極教室を始めた頃は帯域も1メガと狭く、しかも電話とテレビ会議と帯域を分割していたため、音声や画像がとぶこともよくあり、安定させるためにさまざまな設定の調節を行っていました。私はまだ当センターに赴任していませんでしたが、当時のスタッフは非常に苦労されたということを聞いています」(菊池氏)

2009年5月、同研究所の東京都立川市への移転を機に、ネットワークの帯域の増設も行われた。計画したのはその3年前。動画データなども増えてきたこともあり、バックボーンは10ギガを検討していたが、価格的に見合うLANスイッチはなかなか見つからなかった。「当時、越冬隊に参加していた当センターのスタッフにも、インターネットで調べてもらったりしていました」

昭和基地でも同じLANスイッチを利用することにしていたため、設置作業を考慮し二人で持つことのできる重量もポイントになった。同センターでは総合的な観点から、日本ヒューレット・パッカード社のLANスイッチHP ProCurveを選択し、丸紅情報システムズから導入した。

「昭和基地では基本的にはメンテナンスは自分たちで行います。そのために、コールドスタンバイ※2用に重要な機器は複数台持っていきます。当研究所の所内のICTインフラも同じ思想のもとにつくられています」
簡単に行くことのできない南極に設置する機器に、オンサイトの保守契約を結んでも無意味だからだ。

南極教室は現在、月数回、実施されている。回線を結ぶ相手先の学校のネットワーク環境によって、学校側の設定を変えたり、新しく回線を引かなければいけないケースもあるという。一回ごとに状況が異なるため標準化が大きな課題となっている。

※2 コールドスタンバイ
コールドスタンバイとは、サーバやネットワーク機器などに関して、同じ構成のシステムを2つ用意しておき、1つは動作させ、もう1つは予備システムとして電源を入れない状態で待機させておく障害対策の手法の一つ。

研究者の分身として開発した探査機が南極で活躍するのが将来の夢

テレビ会議は南極教室だけでなく、家族との対面にも利用されている。家族のサポートは、極地という厳しい環境で仕事を全うする上で大きな支えとなる。

「閉鎖された空間で過ごすことでストレスも生じますが、特に家族とのコミュニケーションは安らぎの時間となります。私の場合、妹が一週間に一度、家族新聞を作ってFAXで送ってくれていました。妹はそのうち飽きてしまって父親にバトンタッチしてしまいましたが…」。そう話すと菊池氏は笑顔を見せる。

新南極観測船「しらせ」

また、出張旅費の削減や時間の有効活用を目的に、所外の関係者とのミーティングへの利用も推進している。新型インフルエンザの流行と重なったこともあって活用は拡大しているという。もちろん同センターと昭和基地の間でのミーティングにも日常的に使われている。日本と南極の時差は6時間。昭和基地の始業時間は午前9時、日本の午後3時からテレビ会議システムは動き出す。

同センターでは事務データの共有化も進めている。担当者の不在や業務の引き継ぎの際、必要な事務データを探すときに共有化されていれば迅速に対応が可能になる。またパソコンの故障によるデータの消失も防げる。こうした目的を実現するためにストレージをリサーチし、NetAppのストレージを丸紅情報システムズから導入した。
「テープのバックアップと異なり、スナップショット機能でユーザ自身が以前のファイルに簡単に戻ることができるので好評です。また差分のみバックアップするため容量の負荷も軽減できています。」

アクティブディレクトリ※3によるアクセス制御とバックアップで事務データのセキュリティを実現。研究協定を結んでいる北海道の大学に災害対策のためのストレージを設置しバックアップをとることも検討している。
「現在はWindowsとMac環境のみですが、今後Linuxも含めたマルチOS環境でファイル共有を考えています」
昭和基地内との間で文書の共有化は重要なテーマの1つとなっている。たとえば最新の配線がいまどうなっているのか、図面の版数管理なども複雑化しており、最新の図面を探すのにも手間がかかる。昭和基地を運営するために必要な情報は、越冬隊報告、年報原稿、業績リスト、規則集、人事情報などさまざまだ。データの活用とともにデータ消失などのトラブルを回避するためにも情報の共有化は必要だ。

南極とはどのようなところなのだろう。「越冬隊の後半、雪上車で二泊三日、外に出る機会がありました。長頭山(ちょうとうざん)という小高い山に登り、流れていく氷河のパノラマを見たとき、南極に来て良かったなと。風景のもつ力は圧倒的でした」。そして、思いを馳せるかのようにこう付け足した。「聞こえてくるのは風の音だけです」

「南極にもう一度、行ってみたいですか」という質問に、現在、同研究所の極地工学研究グループに所属し、衛星や気球などに搭載する観測装置の制御部分の研究や開発を主に行っている菊池氏はこう答えた。「いまは理学現象よりもデータを採集する機械をつくる方に興味が移ってしまいましたから、私自身というより、開発した探査機が南極で研究者の分身として活躍する姿が見たいですね」

氷床コアを保管する冷凍庫
マイナス50度に保たれている

南極の観測・研究はもとより、それを支えるITも先達たちの情熱と努力の上に築かれていく。菊池氏たちが引き継いだバトンを受け取るのは、南極授業を受けた子供たちの1人かもしれない。取材後、菊池氏の案内でたくさんの氷床コアが眠る同センター内の広大な冷凍庫を見学した。防寒服を着用していたが、冷凍庫を出た後もしばらく肩のあたりにマイナス50度の世界の痕跡が感じられた。「風の音しかしない」、菊池氏の言葉が蘇ってきた。

※3 アクティブディレクトリ
マイクロソフトによって開発されたWindowsネットワークを統合的に管理するしくみ。ネットワーク上に存在するハードウェア資源や、それらを利用するユーザの属性、アクセス権などの情報を一元的に管理できる。

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