インターネット時代の”ぴあ”の挑戦 - 経営戦略と一体化したシステム -【ぴあ・眞子 祐一】

2011年7月、ある雑誌が休刊になった。
多くのマスコミがニュースとして大きくとりあげ、街頭インタビューでは40代、50代の人が
自らの青春と重ね合わせて意見を述べ、休刊について口々に「寂しい」と語った。
雑誌の名は「ぴあ」。
1972年、映画好きの仲間が始めたビジネスは、情報誌「ぴあ」と「チケットぴあ」を両輪に躍進を続けた。
「チケットぴあ」がオリンピックやサッカーワールドカップの
チケット販売を委託されるまでに成長するその一方で、
情報誌「ぴあ」はインターネットの普及に伴い、部数が減少を続け、
エンタテインメント情報誌の草分けとしての役割を終えた。
インターネット時代に“ぴあ”はどこへ向かっているのか。
ぴあの過去から現在、そして未来に向けての挑戦を聞いた。

ぴあ・眞子 祐一 氏

はじめに遊びがあった

情報誌「ぴあ」が産声をあげたのは東京都内にある下宿の一室だった。日本に沖縄が返還された1972年、当時、大学4年生の矢内廣氏(ぴあ創業者、現代表取締役社長)は仲間たちと「このままサラリーマンになるのは癪だ。冗談の通じ合う仲間同士で共通の経済基盤をつくれないか」と日々議論を重ねていた。その結果、たどりついたのが、若者向けの情報誌をつくることだった。その理由について創刊号の編集後記にはこう記されている。
「…私達は見たいものは見たいのです。聞きたいものは聞きたいのです。…平均年齢23.5歳の若さを誇るわれら編集スタッフ自らの必要性を満足させるガイド誌を作ることが、読者の皆様の期待に応えるガイド誌に結び付くことだと考えるからです…」(ぴあ創刊号編集後記より抜粋)
この編集後記の考え方は企業理念・ビジョンに継承されているという。「当社の企業ビジョンのひとつに“はじめに遊びがあった”というキーワードがあります。映画好きな仲間が集まって話し合っていたとき、映画や演劇それぞれ専門誌はあるけれど、公演場所や日時の情報は巻末の狭いスペースに掲載されていてわかりにくい。それらの情報をまとめた雑誌があればどれほど便利だろうかというのが出発点です。自分たちが困っていることを解決する。それは他の多くの人が抱える課題の解決につながり、必ず受け入れられる。現在も当社の基本的な企業姿勢は変わりません」と、ぴあ株式会社 執行役員 主計局長 兼 経営企画室長 眞子祐一氏は語る。
志は高くても出版に関しては素人の集まりゆえに、創刊にこぎつけるのも容易ではなく、特に大きなハードルとなったのが出版流通のしきたりだった。途方に暮れていたときに紀伊国屋書店の故・田辺茂一社長と、田辺社長から紹介を受けた教文館書店の故・中村義治社長が手をさしのべてくれたという。中村社長は「素人の学生には無理だよ」と言いながらも約100店舗もの書店への紹介状を書いてくれたそうだ。
情報誌「ぴあ」が世に出ると、若者の間に瞬く間に広がり、当時の学生や若い社会人は「ぴあ」をチェックするのが習慣となった。若者向けエンタテインメント情報誌の草分けとして誕生した同社が、企業として大きく成長していく過程ではいくつかのターニングポイントがあった。

はじめに遊びがあった

情報誌「ぴあ」休刊、その志は「感動のライフライン」として開花する

第1のターニングポイントは、1984年の「チケットぴあ」のスタートだ。その背景には、当時ロンドンで開発された電話回線を通じて文字や画像を送受信するコンピュータ・ネットワークシステム「ビデオテックス」が普及し始めると、プリント媒体を利用する雑誌は衰退していくのではないかという危機感があった。同社は自社ビジネスを見つめ直し、「出版業ではなく、情報伝達を生業としている会社」と自社ビジネスの再定義を行い、データベースの整備など情報センターとしての機能を強化した。日本初のエンタテインメント・チケットのコンピュータ・オンライン販売サービスだが、情報誌「ぴあ」で情報を入手して「チケットぴあ」でチケットを購入するというシンプルな発想であった。
その革新性について眞子氏は「紙のチケットでは不可能だったチケット在庫の一元管理が行えるため、在庫があればどのお店でもチケットの購入が可能です。いまでは当たり前のことですが、当時は非常に革命的でした。興行主も、どのお店にチケットを何枚置くかを悩む必要がなくなり、マーケットの健全化も図れたのではないでしょうか」
「チケットぴあ」と同時に、会員カード契約者に優待特典などをつけた会員制度「ぴあカード」の運営も開始した。チケットをカードで購入できる利便性とともに、購入者をぴあのお客様として位置付けることに成功した点も新しい。
第2のターニングポイントは、1998年に社員みんなで企業理念「PIA IDENTITY」をつくったことだ。発端は、21世紀の戦略を構築するプロジェクトの会議における若手社員の一言だった。
「戦略を練るのはいいですが、いまの社内ではとても実現できません。それは戦略を実行する社員たちが仕事への情熱を失っているからです。今の会社では与えられた仕事以外のことを自ら考え、やり始めたりすると、周囲から冷ややかな目で見られてしまう」
そこでプロジェクトの目的をまずは企業理念作りに変更した。
ぴあの理念「ひとりひとりが生き生きと」。ぴあ人とは「はじめに遊びがあった」。企業理念のキーワードは借り物の言葉ではなく「ぴあらしさ」を率直に表現していた。
ぴあの21世紀は「2002年日韓サッカーワールドカップ」のチケット管理業務を受託するというビッグニュースで幕を開けた。ぴあは、海外からの信頼も厚く、ワールドカップやオリンピックなど世界規模の興行に対応できる日本で唯一のチケット販売会社となっていた。2003年には東京証券取引所市場第一部に上場。明るいニュースが続く一方で、情報誌「ぴあ」はインターネットの普及により部数の下落傾向に歯止めがかからない事態に陥っていた。
第3のターニングポイントは、2011年の情報誌「ぴあ」の休刊である。「創業事業からの撤退は多くの企業が直面するテーマですが、撤退をやり切れるのは少数です。特に当社の場合、創業者はまだ社長ですし、企業理念を体現している事業でもあります。社内でも多くの議論が戦わされました」と眞子氏は話す。
休刊の1年後、2012年度の全社キックオフミーティングにおいて矢内社長は「今年は、インターネットを中心にした“新しいぴあ”が作られていかなければならない大事なエポックメイキングの年です」と話し、ぴあはどこへ向かって進むのかと社員に問いかけ、「PIA IDENTITY」のもと「感動のライフライン」を実現していくというビジョンを改めて示した。
情報誌「ぴあ」は若者の心のそばにあって感動への扉を開いてくれた。その志は21世紀の「感動のライフライン」として開花する。同社の歩みを考える場合、常にICTの進展とともにあったことも見逃せない。

眞子 祐一 氏

全体最適に向けてシステムを可視化

情報伝達業である同社では、ICTがビジネスに大きな影響を及ぼすため、システムの開発から構築、運用までを担う情報システム部門が果たす役割は大きい。近年、力を入れているのが「チケットぴあ」サイトの強化だ。2011年には「チケットぴあ」のWeb APIを法人向けに公開。ぴあのチケット購入機能や公演情報を他社サイトで利用可能とし、付加価値の高いサービスの創造やビジネスチャンスの拡大を図っている。
ビジネスに直結するシステムへの投資の一方で、後回しとなっていたのが社内向けのシステムだ。長年使い続けている財務会計システムは、業務フローが属人化し、必要な部分ごとに改修を重ねた結果、全体最適の観点からは非常に非効率な状態となっていた。
2012年10月、財務会計システムのリプレースプロジェクトがスタート。最初のステップとしてシステム全体を把握するための可視化を行うことになり、コンサルティングに丸紅情報システムズを採用した。
「採用のポイントは、お互い気持よく仕事ができるかどうかを重視しました。実際の作業面では、チケットビジネスの取引条件や業界の慣習など特殊な項目を理解されるのは難しいのではないかと思っていましたが、全く問題はありませんでした」と眞子氏は振り返る。
システムの可視化により、上流から下流までデータの流れや非効率の要因を明確にでき、リプレース時の課題について各部門との間で共通認識を持つことができたという。現在、可視化した情報に基づき、全体最適に向けた構築フェーズに移っている。
可視化を進める上で注意した点について眞子氏はこう話す。「お互いにわかった気になるのはやめましょうと。考えていること、思っていることが本当に一致しているのかどうかの確認は徹底して行いました。その点は非常に良かったと思います」
他者を尊重しながらも、本質や真実を大切にする。こうした仕事のやり方も「ぴあらしい」と言えるだろう。

月刊ぴあ 創刊8月号 昭和47年7月10日発行

月刊ぴあ 創刊8月号 昭和47年7月10日発行

「ぴあ会員」数が1,000万人を突破

2012年度、ぴあグループはインターネットでのチケット販売の大幅な伸張などにより過去最高の連結売上高を達成した。業界初のスマートフォン対応、常時2万件のイベント登録、年間6,200万枚ものチケットを発券する「チケットぴあ」のプロモーション・販売力を軸に、出版部門の情報力やブランド力、膨大なエンタテインメントのデータ活用など他が真似のできない強みを活かし、新しいぴあづくりは着々と進められている。
新生ぴあについて眞子氏はインターネット活用、ソリューション提供、イベントコンテンツの制作などいくつかの大きなテーマがあると話す。
インターネット活用の舞台のひとつは「チケットぴあ」サイトだ。利用時に登録する「ぴあ会員」数は1,000万人を突破し、現在も増え続けている。同サイトでは、探したい人にすぐ見つかる、買いやすいなど使い勝手の良さに加え、同サイトでしか読めない特集記事や、業界初の観客によるレビューの書き込みなど情報誌「ぴあ」時代の強みを活かしている。
ソリューション事業は、Jリーグ、プロ野球、劇場などイベント主催サイドに対し、チケット販売をベースにトータルサポートを提供するBtoBビジネスだ。様々な分野の企業とのコラボレーションは急速に拡大している。
音楽イベント、映画、美術展への出資などのコンテンツ制作は、企画からプロモーション、チケット販売まで総合力を結集できることから、新しい事業の柱としての期待も大きい。
変化ばかりに目が向きがちだが、映画界の次代を担う才能の発見と育成を目的とする「PFF(ぴあフィルムフェスティバル)」は2013年で35回目を数える。現在、日本映画界で活躍する監督を多く輩出し、PFFスカラシップ作品が国際映画祭で受賞する快挙も成し遂げた。
「はじめに遊びがあった」、創業時の思いはいまも変わることなく、ぴあの挑戦は続く。

導入された製品情報

コンサルティングサービスについて

企業の経営戦略や営業戦略を達成するために、長年のコンサルティング活動で培った経験をベースにお客様の視点に立ち、システムのライフサイクル全般にわたってICTをサポートします。幅広い商品やプロジェクトに関する豊富な業務知識のもと、各種業務内容を素早く理解し、改善テーマや取組課題を迅速、かつ的確に抽出し、RFP作成からパッケージ選定までご支援します。独自のコンサルティング技法を確立し、体系化された標準プロセスにより、お客様の状況に応じた高品質で最適なコンサルティングサービスを提供いたします。

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