株式会社竹中工務店様

空想で終わった建物を実現してみたい 不可能の実現に情熱を燃やす研究者

それは、旧約聖書の「創世記」の中に出てくる。
バベルの塔──。
人が天まで届かせようとした伝説上の巨塔で、「実現不可能なもの」のたとえとして使われることもある。
これまで人は空想上の建築物を数多く描いてきたが、構造や施工方法などの問題で現実に建てるには難しいものも多かった。
ここに、空想で終わった建造物を実際に建てることを夢見る研究者がいる。
竹中工務店の掛悟史氏だ。
「これまで多くのアイデアが出され、『これ建ててみたいね』というのはあったと思います。でも、技術的な問題でお蔵入りになったものも数多くあります。そうした泣く泣くしまわざるを得なかった先人たちのアイデアを、新しい技術によって形にしたいと思っているのです」
壮大な夢を掲げる、一研究者の日常をのぞいた。

鉄筋コンクリートを日々研究、そして実験

ただ者ではない人物によるデザインに違いない──。
その建造物を目の前にすると、多くの人がそう思うはずだ。
総面積65,000平米。東京ドーム約1.4個分の広大な面積の敷地に、幾何学的に構成された白い建物群がある。建物の高さは低く抑えられ、「風景としての建築」が意図されている。

アプローチ部分は大地を大きく切り取って人工池がつくられ、三角形の人工池にたたえられた水は、見る者に不思議な緊張感と静謐さを与える。
ゆるやかな丘を思わせる巨大なスロープが目の前にあり、先にエントランスが見えないため、一瞬、天空に続く道のような錯覚を覚える。
そう、千葉県印西市にあるこの特徴的な建造物は、竹中工務店の研究開発施設である「竹中技術研究所」だ。

「ここでは建築に関するさまざまな研究をしています。構造などの安心・安全の分野から、住みよい建築などの環境分野のほか、VRの技術を使って施工前に建物内にいる体験ができる研究なども行っています」
作業着姿で現れたのは掛悟史氏。構造部RC構造グループに属し、主に鉄筋コンクリート構造(RC)の研究に携わっている。2013年に入社し、大阪本店で1年間の研修期間を経たのちに、この研究所に配属された。
掛氏は日々実験を行っており、その場所が研究所内の大型構造実験棟だ。建物の一面には壁がなく、一見すると工場のようで、いわゆる“実験室”の面影はまったくない。

「1つの実験を行うのにだいたい半年はかかります。試験体の設計で1~2ヵ月はかかり、ひずみゲージを貼るのに2~3週間はかかります。そのあとに鉄筋を組み立てて型枠を組む作業に1ヵ月。コンクリートを入れたらそれが固まるまでさらに1ヵ月。そのうえ、実験にはさまざまな装置も必要になります。こうして長い時間をかけてつくったものを、わずか数日で壊し、構造物の耐震性能を調べています」

次々と実用化されている研究成果

同研究所にはある特徴がある。実用化を前提とした研究が多いことだ。
「当社には『現場の問題点』をくみとりやすい環境があります。入社して最初の1年間の研修期間中は新入社員150~200名が全員で寮生活をするので、全員と顔なじみになり、その人脈が生きて、『現場でこういうことで困っている』という情報が入ってきます。それらを元に具体的な目標を立てて研究を行っていくという流れです」

同研究所が設立されたのは1953年、以来、数多くの研究が実用化されており、ここ10年ほどでも革新的な技術開発を次々と行い、建設現場を大きく変えている。
「代表的なものの1つが、一般的なコンクリートよりも何倍も強度がある高強度・超高性能(APC)コンクリートです。超高層RC造建物を建てる場合は、コンクリートの強度が低いと柱を何メートルもの断面にしなければなりませんでした。それが高強度コンクリートを使用することで柱のサイズが細くてもよくなり、結果として住む人の居住性を向上できるようになりました」

実現のポイントは、従来あった高強度コンクリート技術に、ポリプロピレンなどの合成繊維と鋼繊維を同時に混ぜ合わせるハイブリッド型を採用したこと。これにより、世界最高水準の圧縮強度のほか、高い耐火性能を備えることができた。すでに、川崎市の武蔵小杉に建つ超高層マンションなどに使われているという。 
エストンブロック工法も画期的だ。建物は壁が多いほど耐震性能が高くなるため、耐震補強をする場合は、新たな壁で支えをつくることになる。しかし、工事の際に発生する音や振動、粉塵などの問題で、24時間稼働しているホテルや病院ではなかなか耐震補強工事ができないという現実があった。それを解決すべく考え出したのがコンクリートブロックを積むという方法だ。

「これまでもコンクリートブロックで補強する方法はありました。ただ、従来のブロックは四角形で地震のときに横滑りしやすいため、ブロックの内部に鉄筋を配筋し既存の柱や梁に取り付ける必要があります。その際に柱や梁に孔を空けなければならず、その際に非常に大きな騒音が発生していました。そこで、ブロックを四角形ではなく蝶形にして、横揺れでもブロック斜面がかみ合うようにしました。そのため鉄筋がなくても地震に抵抗することができます、建物の稼働を止められないホテルや病院などを中心に、すでに40件以上の建物で使われています。

こうした安心・安全だけでなく、省人化をテーマにした研究もある。今、建設業界は鉄筋工などの職人の高齢化と人手不足が問題になっており、少ない職人でいかに従来と同じようなスケジュールで建造物をつくれるかが大きな課題となっている。

「柱と梁の接合部は鉄筋が入り組む場所で、強度を得るために配筋工がせん断補強筋という鉄筋を巻かなければなりませんでした。その作業をなくせないかと考えました。まず梁の鉄筋をつながなくていいように、鉄筋端部にボリュームをもたせて抜けないようにし、さらに、柱と梁の接合部に流すコンクリートに長さ30mmほどの鋼繊維ものを混ぜ、鋼繊維でひび割れを止めるようにしました。この結果、鋼繊維を混入したコンクリートを流すだけで済み、せん断補強筋を巻く必要がなくなりました」

こうして次々と新しい技術を開発する中、実験の際に掛氏ら研究員はずっとあるジレンマを抱えていたという。
「正確さを求めると正確でなくなっていく」ジレンマである。

どうすればジレンマから解放されるのか

「実験で大事なのは正確な実験データを得ることです。ところが、正確さを求めれば求めるほど正確さからどんどん遠ざかってしまうのです」 
コンクリートの強度を見るためには、載荷試験というものが行われる。実験用の試験体をつくり、それに圧力をかけて変形や応力などを調べていく。その際に取り付けられるのが変位計やひずみゲージなどだ。

「問題はそれらを付けるために、ボルトを埋め込んだりしているので、実構造物と異なってしまうことです。ひずみゲージも1点だけだとわからないので、より細かく測定しようとすると、ひずみゲージを貼れば貼るだけ試験体内に異物が入りこむことになります。この場合も実構造物と変わってきてしまいます。またこれまでの計測機器の多くは特定の点・領域しか計測できず構造物全体をとらえることは難しいとされていました、このジレンマから解放されることはないのだろうかと、研究者の多くが考えていました」

2016年6月。掛氏の上司がある展示会に足を運ぶ。カタログを持ち帰り、「こんな測定器があったぞ」と研究員たちに知らせた。
「そうした測定器が世の中にあることも知りませんでした。単純に『すごいものがあるな』と思いました。ちょっと何かできるな、というレベルではなく、本当にいろんなことができそうだという印象でした。GOM社の『ARAMIS(アラミス)』です」

非接触式なので変位計やひずみゲージを取り付ける必要がなく、実構造物にまったく手を入れることなく測定することができる。研究員らは色めき立った。それから半年後、デモを行い、実際にコンクリートの塊を壊してARAMISで測定する。

「変位計だと点と点の動きしかとれませんが、ARAMISは面全体でどう動いているかがわかる。また、構造物でとても重要なのは『力の流れ』なのですが、どこに力が加わってどこにどういった変形が起こっているかがわかるので、より精細に変化を知ることができる。ARAMISはそれがカラーでわかるので、実験のレベルが1ランクどころか、何段階も上がったような感覚がありました」
2017年5月、研究員たちの強い要望によりARAMISが導入される。

建設業界のイメージも払拭したい

「強い地震が起こると、コンクリートはひび割れが起こりますが、その際に見なくてはいけないのがひびの幅です。ひび割れが多すぎるとそこから水が入り込んで中の鉄筋が腐食してしまうため、ひび割れ幅を正確に計測することが重要になります。ところが、実際は1本のひび割れでも箇所ごとに幅が変わります、全部確認しようとすると実験が終わりません。そこで代表点を1つ決めて調べていたのがそれまでの現状でした。ところがARAMISはひび割れを全部把握でき、なおかつひび割れ幅もわかる。情報量が圧倒的に違いました」

国内の建設業界においてARAMISの導入例がないことから、掛氏はコンクリートの変形などの詳細を発表しようと論文執筆を開始。ひび割れの数や幅だけでなく、構造物の力の流れを出し、それがどのように分布しているかを記した。

現在、建設業界は3D CADなどのツールの進化によって自由曲面の構造物が増えているが、そうした形の場合、これまでどう測定するのが正解なのか誰にもわからなかった。そうした構造物でもARAMISなら問題なく測定できる。

そして、研究者としての将来を訊いたとき、掛氏の声に力がこもった。
「建設業界は3Kと思われている部分がありますが、それを払拭するような工法を開発して、最先端の技術で働きやすい職場に変えていきたいと思っています。そして、先人たちがお蔵入りにせざるを得なかった建造物をぜひ形にしたい。これは入社したときから変わらない思いなのです」

現代版バベルの塔──
将来そんな建造物に出会ったら、その陰にはきっと掛氏がいるに違いない。

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