ロボティクス分野 3Dプリンター活用事例
おそらく日本で、もしかしたら世界でも初めての光景かもしれない。 東京・池袋パルコのコンコースのショーウインドウ。 ここにカラフルな風船でデコレーションされた空間の中央部分に、 女性の服を着たマネキンが立っている。多くの人が何もないかのように通り過ぎていく。
だがある瞬間、ショーウインドウの前がにわかにざわつき始める。 マネキンの手が、まるで人のように自然に動き出したのだ。 つくったのは杉浦機械設計事務所の杉浦富夫社長である。 「今でこそスムーズに動いていますが、最初は決して満足のいくものではありませんでした。 それがあるものを使ったことで劇的に改善されました」 開発の“核”を、杉浦社長が語り始める。
世の中に存在する千差万別の機械。誰かが「こういう形、こういう機構で」と決めて設計図面を作成し、そのデータをもとに機械がつくられていく。こうした機械の中でも特に産業用の省力装置や大型風力タービンなど再生可能エネルギー分野の開発や製造施工管理などの仕事をしているのが、杉浦機械設計事務所の杉浦富夫社長である。
「大企業の工場で使う産業用の機械から小さなロボットまで、ありとあらゆるものをつくってきました。ハブ高80m、ブレードの直径50mの風車を開発したことがあります」
杉浦社長は少年のようなキラキラとした眼差しで答える。大型風車は百何十機と建設されており、今でも携わったほとんどの風車が動いているそうだ。
2003年に二足歩行ロボットの開発を開始。
「二足歩行ロボットによる『ROBO-ONE』という大会が始まったころで、当時の二足歩行ロボットは2、3歩しか歩けない状態でした。昔、産業用ロボットをつくっていたこともあり、『この世界ならこれまで自分が経験したことが活かせるだろう』と、趣味と実用を兼ねて始めることにしました」
二足歩行ロボットは「Dynamizer(ダイナマイザー)」と名づけられ、前述の大会『ROBO-ONE』に出場して準優勝を飾る。その後も活躍は留まることなく、二足歩行ロボットの世界では知られた存在となった。
そして2010年冬、杉浦社長はダイナマイザーで得たノウハウを活かして次のステップをめざす。それが“動くトルソ(首と下半身がないマネキン)”だった。
「神奈川県で『ロボット等新製品開拓事業業務委託研究』という研究を公募していたことから応募することにしました。『日本はロボット大国といわれますが、人間と接触する場にロボットはあまり見かけません。私は9号サイズの女性で、ポージングができるロボットを開発します』と一筆書いたところ、特賞をとって急遽開発する運びとなりました」
杉浦社長の目的はこうだった。
「ディスプレイ業界に『しぐさ』という新しいファンクションを加えることでイノベーションを起こしたい」
杉浦社長が製造の過程のなかで開発の“核”として採用したのがDDM生産だった。
杉浦社長は「機械設計」のほかに実はもう1つの顔をもっている。RP(rapid prototyping、ラピッドプロトタイピング)の伝道師でもあることだ。
CADの黎明期のころから2D CADを使い始め、1980年代からは当時まだほとんど普及していなかった3D CADを使い始める。それと同時期に、CAD上で設計したものが形にできるRPにも注目、自らもRP切削機を購入し仕事に活用していく。
「『設計者は自らの手で試作も行うべきです』と、さまざまなセミナーの講師として積極的にRPの啓蒙・普及活動を行い、また機械や建築設計の専門誌などにもRPに関する記事をいくつも執筆してきました。RPに関してはかなりの知識をもっていると思います」
RP切削機以外にも、アルミの粉末積層や溶融積層などのRPを利用した経験も持つ。二足歩行ロボット「ダイナマイザー」に使われている多くの部品の製造にも、RP切削機が活用されている。切削時に必要な治具も自社製作したという。
動くトルソは「腕付トルソ君」と名づけられ開発が進められたが、しぐさの要となったのが「腕」である。当初は既存のマネキンの腕を改造し、肩と肘の部分にモーターを入れることで動かそうとしていた。しかしさまざまな問題が発生してしまったという。
「致命的だったのが重さです。肩のモーターが重さのために頻繁に止まってしまいました」
研究成果は3ヶ月以内に出さなければならなかったため、既存のマネキンの腕のまま発表することになったが、次年度の公募に「改良したい」と応募したところ再び採用となり大幅改良に着手することになる。
今では大人気の11歳サイズhina-coの開発を通じ改良を重ねる中も、「腕つきトルソ君」は人々の心をキャッチし、TV出演や新聞に取り上げられるなど、露出度を上げていった。あるとき、著名な空間コーディネーターのtasu瀬谷ゆみこ氏からコンタクトがあった。その展示期間は34日間、場所は池袋パルコというビッグな話であった。研究ならいざ知らず、「ビジネス」となるとモーターが途中で止まってしまうことは決して許されない。
「この問題を解決するには、とにかく腕を軽くするしかありません。こうした場合、一般的にはFRP(繊維強化プラスチック)レイアップが使われますが、あまりに製作の手間がかかり、コスト的にも合わない可能性がありました。そのため、この仕事は断ったほうがいいかなぁと思っていました」
そんなとき、杉浦社長のもとに1通のメールがくる。
メールの主は丸紅情報システムズ。「MSYSオンデマンド生産サービス(FDM造形機「FORTUS」による設計コンサル、製品生産)」の案内メールだった。
「『これだ!』と思いました」
「専門書にRPの記事を書いているくらいですから、当然FDM(熱溶解積層法)のことは以前から知っていました。軽いものがすぐに造形できるので欲しいと思っていたのですが、強度の面で不安でした。それが、強度のあるポリカーボネートが使えるようになり、なによりオンデマンドで利用できるということでさっそく連絡をとりました」
設計を始めてすぐに、サポート材(積層造形に必要な足場)を溶解して取り除くタイプがあることを知る。これは「軽さ」を求めていた杉浦社長にとって、さらに大きなアドバンテージが得られることを意味していた。
「サポート材を手ではがすタイプで完全な中空構造の腕を造ることは難しいのですが、溶解タイプならそれができる。設計を工夫すればもっと軽くすることができるわけです」
杉浦社長はMSYSオンデマンド生産サービスの設計コンサルティングにより造形品重量を考慮しながら設計をやり直していった。
結果は予想以上だった。1つの下腕で、マネキン腕部品の改造版より130gも軽くすることができた。重量削減効果は絶大で、頻繁に止まっていた肩のモーターが止まることなく動き続け、腕の動きも俄然スムーズになり人の動きにより近づいた。
「スピードも圧倒的でした。当初考えていたFRPでは製作に何十日もかかりますが、「MSYSオンデマンド生産サービス」は週末にデータを送ると週明けにはできてしまう。お陰で動作プログラミングの調整の時間の確保ができ、精度を上げることができました。また、パルコさんから『半そでにしてほしい』という要望があり、腕が服に隠れずにそのまま露出することになりましたが、造形物の色が白だったので意匠的にもぴったりでした」
モーターが見えていた肘の部分も、モーターが隠れるデザインに変更することになったが、製作に時間がかからないためすぐに対応できたという。強度的にも、モーター取り付け部と腕本体をDDMにより一体化したことで、パーツ単品の強度と腕全体の剛性を上げることができた。
RPの伝道師を自任し普及・啓蒙活動に力を入れてきた杉浦社長。
DDM生産を体験したことで、「RP観」が変わる。
「3Dプリンターの何がすごいかというと、考えたアイデアがすぐに形になるということです。あっという間に造形できるので、まるでドラえもんの4次元ポケットみたいです」
杉浦社長が強調するのが、一品物に最適であることだ。
「ロボットの競技世界などでは、同じロボットばかり出ると面白味がない。そのため、みんな『自分だけのオリジナルロボット』を欲しがっているんです。そんなときに、顧客のニーズに合わせてうちで外装部品をデザインしFORTUSで造形すれば、世界で1つしかないオリジナルのロボットをつくることができる。ロボットは表現の道具でもあるので、一歩上のフェーズにいくためにもFORTUSは必ず必要な道具だと思います」
また、FORTUSのような3Dプリンターは社会を変えうるものにもなると杉浦社長はいう。
「今、携帯電話をデコレーションして自分だけのオリジナル携帯電話にしている人がいますが、これからは携帯の中身が入ったベースだけを売って、あとは3Dプリンターがずらりと並んだモデリングカフェのようなところで、自分でオリジナルケースをモデリングする時代が来るかもしれません」と未来を予測する。
「絵空事のように思うかもしれませんが、私がRPの普及・啓蒙活動を始めたとき、周囲で切削RP機をもっている人は誰もいませんでした。ところが今では二足歩行ロボットをつくっている人で切削RP機を利用していない人は1人もいないといっても過言ではないほど普及している。FORTUSのような3Dプリンターもきっと身近で当たり前の存在になると思います」
池袋パルコのショーウインドウ。
カラフルな風船がきれいに並べられたショーウインドウのなかに、杉浦社長の渾身作が立っている。当初の開発段階ではトルソ型だったものを、顔や足をつけてマネキン型にし、名前も「パル子ちゃん」と名付けられた。
1時間のうち3回、1回につき5分程度「しぐさ」がタイマー制御によって自動運転されるが、動かなかった「パル子ちゃん」の手がスーッと動くと、目の前を通った女子高生がこう叫んだ。
「ねえ見て見てあれ、動いているよ!」
ディスプレイ業界にイノベーションを起こしたかったという杉浦社長。その光景を見て、思わず頬がゆるんだ。